2009.09.11 ある意味でテロリストなうちの父の思い出

夜が明けた。

まだ明けない夜は来ない。

一晩なんて、意識を保っていても短い。

金魚が朝御飯をねだるいつもの朝だ。

無理矢理体を動かして、ゴミを出す。

自販機にホットコーヒーが。

季節はもう勝手に動いている。

ニュースに、埼玉県和光市で娘への指導に激怒した両親が学校に乗り込み逮捕されていた。

父親を思い出した。

中学で、イジメにあっていた俺は、2年の9月についに我慢できなくなり、キレた。
上級生亜三人に大怪我を負わせた。

再三に渡る学校側の呼び出しに応じた父は、作業服にサングラス、咥え煙草で現れた。

校内をだらだら歩き、校長室に現れるなり、俺の頭を叩き、「何の用や?忙しいけぇはよ終わらせぇ」と周囲を独特の低く太い声で威嚇した。

あとはもう丸々、父のペースだった。

上級生の父親は怯え、母親は泣きじゃくり、校長をはじめ、教頭、担任、生徒指導は固まり続けた。

「お宅のガキが三人でうちの馬鹿呼び出して逆に怪我させられたけぇ、頭下げて金払え言うんか?幾らいるん?ん?とりあえずこんくらいでえかろう」

父が出した茶封筒には万札がパンパンに入っていたが、向こうの母親が、泣き叫ぶように、いりません!と言うと父はあっさり封筒を仕舞い込んで、上級生を呼べと一言。

1人は入院中のため、他の2人が授業中にも関わらず呼び出された。

事実確認を終えた父は、「お前らの親はよ?恥ずかしゅうて、よぉ来れんのやろう?かばちばっかたれよってからに。うちのガキいじめよぉ思うたら、やり返されたけぇ、パパママ先生に言うて、あいつの親に謝らせて?か」

静まり返る部屋の中で、父の怒りと呆れが空気を変えていく。

上級生2人が謝る。

「もうえぇ、校長、あんたぁどう思うん?うちのが悪いんか?」

暴力は許されないと思いますと、小さな声で答えた校長の言葉で全ては終った。

父は立ち上がり、「ようわかった。大勢で呼び出してうちのひ弱なガキみたいなんを殴る蹴るんは、良うて、やり返したらあかんのやな?よぅわかった。お前らの考えはよぅわかった。ほんなら、儂にも考えがある。警察呼べ。話聞いてもらおぅやないか?のぉ。よう考えぇよ?儂らの稼業でもようあるけど、喧嘩は怪我してもしょうがないわぁね?なぁ。それをやね、大勢で呼び出して逆に怪我させられたけぇ、謝れ〜言うて、えぇ大人が集まってまだうちのガキ責めるんかぁ。ほんならしょうがなぁ、おい、帰るど。」と俺の襟を掴んで立たせる。

相手の父親が、申し訳ありませんでした!と、悔しさ丸出しの声で謝罪。

途端に父は声を緩め、「聞いたの?終わりやの?儂は忙しぃけぇ帰るわ」

この事件のあと、俺の父親の職業が学校全体にばれた。

農家で、土木屋の社長で、本業は893。

俺はおかげで謹慎3日を喰らうはめになる。

その間に噂は尾びれをつけて広がり、イジメは無くなった。

後日、久しぶりに会った父は、笑いながら「馬鹿が。男が喧嘩するときゃあ二度と相手に会いとぅなぁって言うくらいやらんけぇ。恥ずかしゅうていかんわ。ええか、殺る気でやりゃあたいてい負けんけぇ。何使うてもえぇ、とりあえず勝ちゃあええ。」

父親と言うと、幾つもこんな話があるが、1番思い出すのはこの日の事だ。

空手を習っていたが、道場以外で初めて他人を殴り、蹴り、ガラス窓に叩きつけ、石を投げつけ、鼻を折り、血だらけにしたあの日。

学校という場所に父親が姿を見せた唯一の日。

九月になると思いだすな。

ちなみに、まだ生きてます。

妻から、「人生のスピードを落として休もう。走り過ぎだよ。」とメールが来た。

止まればもう、死にそうな気がするが。