2010.02.14 心を病むということ
禅に興味があります。
幼い頃は、祖母が浄土真宗だということもあり、お寺に説法を聴きにいったりしていました。はじめて西本願寺に入ったのは確か小学4年生の頃。
そのあたりから、宗教とはなんぞや?と興味を持ちました。
様々な宗教関連本を読み、様々な宗教の方と交流してきました。
それこそ、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、カトリック、天台宗、真言宗、浄土宗、臨済宗に曹洞宗、天理教、ゾロアスター教、創価学会、エホバの証人などなど。
勧誘を受けるのではなく、話す。
何を信じ、何を願い何を求めているのか。
その中で、坐禅を学び、時折実践してみたりしました。
ただ、要は知識を得たというだけ。
自身は無宗教です。
(世間で、「祈らせてください」勧誘が増えた時期から、そんな感じの勧誘に対しては「ゾロアスター教なんで」と答えるようにしてましたが。)
神社仏閣巡りが好きで、妻との最初の旅行も京都でした。彼女の方が自分より京都の神社仏閣には詳しいです。
一昨年、ふとしたきっかけから、自分のルーツが、仏教ではなく、神教であることがわかりました。
地元の八幡宮の宮司の家系。
おそらくは5代前にあたる祖先が、ある神社の巫女さんだったこともわかりました。
子供連れて山口に帰った時にはしっかり御詣りしてきました。
そんなこんなで、また宗教に関する興味が沸きはじめました。
そんな中で、再び坐禅に興味を持ちました。
坐禅は、信仰ではなく信心。
自分の外に仏を置くのではなく、自分の中に仏ある。
仏心仏性があると信じる。
まさに、自己をみつめる。
「心王銘」という本があります。
その中に、有名な「水中の塩味、色裏の膠青(こうせい)」の言葉があります。
海水を舐めると塩からい。
しかし、当時はそんな詳しい分析はなく、水中にはなんかわかんないけど、見えないけど、塩分がある。
それは、人の心も眼には見えないんだけど、ちゃんと存在するのと同じ。
つまり、心が無いと人ではない。
心を病むというのは、人間を病むということ。
ちょっと怖くなりました。
うつ病は、心が風邪をひくと言われます。
人を人たらしめる、心が病を得る。
風邪は万病のもと。
こう考えると、いま社会が風邪をひいてるのかな?とか。
あー、なんか朝からめんどくさい話になりました。
どうもちゃんとまとめるのが苦手です。
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