2009.10.23 カウントダウン

いよいよあと一日となりました。

ここ数日、うつ症状の波が強く出て、「振り出しにもどる」を実感しています。

起き上がれない。

誰にも会いたくない。

正直死にたい。

すべてがわずらわしい。

TVも、携帯も、家族も。

その中で一番煩わしいのが「自分自身」

誰にも優しくできず、ちゃんと愛する事ができず、ついには仕事すらできなくなった自分自身。

クスリが無ければ、平穏を維持できない。
今はクスリがあっても平穏を維持できていない。

ある作家が作品の中でこういう台詞を書いていました。
思い出したくない過去を必死で隠しながら生きてきた人の台詞として。

「汚れた下水の上に人が暮らしてるのと同じ。」
「どんなに忘れよう、隠そうとしても奥の奥に存在してる」

我々が歩いている道路や、住んでいる箱の下には下水道が流れている。

過去を知らないふりをして生きていくのは、自分が吐き出した下水の上を知らないふりして歩く事、それと同じだと。

自分でも、どうして自分がこうなったのかがもうよくわからない。

そして、そんな自分にもう疲れてしまった。

山口で生きていたとき、人に怪我をさせてしまった事もあれば、逆にリンチされた事もある。
でも、必死でそのリンチされた過去は消して押し隠して、自分を強く見せて生きてきた。

以前書いたいじめ撃退の話も、結局は暴力だ。

上京してすぐ、上野のHMVでバイト始めて、都会の若者にまじりつつ生きてた。

お店からの帰り道、上野駅で酔っ払いオヤジ2人に絡まれて、怖くて怖くて正当防衛と言い聞かせながら殴り倒し蹴りつけた所を同じバイト仲間に見られた事も、浅草の映画館のトイレでヤクザに因縁つけられて泣いて謝った過去も、全部全部消して隠して生きてきた。

仕事をとっかえひっかえしながら、それでもいつか幸せになれると信じていた。

裏づけのない自信がどこかにあった。

今はもう、そんな自信は無い。

妻とメールでやり取りしながら、「あぁ、もう俺はこの人の理想を何一つ叶えてあげられないんだな」と確信した。

同じように、妻が俺の理想を叶えてくれることも無いのだ。

因果応報。

幼い頃から、家庭を知らず、親を知らず、愛情を知らずに育った人間が人並みの幸せを願った報いだ、これは。

途中、何度も何度も挫折した。

父親の会社の保証人名簿に名前を連ねた関係で自己破産も経験した。

音楽の夢もいつしか露のように消えた。

目標も、何も無くただ平々凡々と生きていた。

人はきっと、その成長過程で家族の作り方や、貯蓄の大切さ、暴力の悲惨さ、無意味さを知る。

その過程を間違えた。

俺は自分勝手に生きて、欲望の赴くままに生きてきた。
恋人が離れても、いつしか新しい恋をみつけ、のめりこんだ。

そろそろ、ちゃんと清算しなくちゃいけない。

明日が誕生日。
だから家族で過ごそうという、妻の提案が重苦しい。
うざい。
無理に「普通」を装うのはもう無理だと思う。

2人が求める理想の隔たりを、誤魔化せる状態に俺はない。

最近、妙に懐かしい景色が思い浮かぶ。

でもそれを見た場所をうまく思い出せない。
もしかしたら、夢の中だけの景色かも知れない。

でも、それでもずっとその景色を見ていたい。

永遠に。

永久に。