2009.08.29 ごめんなさい。

最近、やたらと「ごめんなさい」を使う自分に気づいた。
家族へのメールや電話で多用している。

あと、休職前にはやたらと「すみません」と「大丈夫」を多用していた気がする。

昼間は PCに噛り付きながら書類提出の〆切に追われたり家族、ケアマネ、スタッフの対応に追われて、やたらに謝りやたらに自分に大丈夫と言い聞かせ、夜になれば認知度の高い方がいれば、気にして気にして浅く短い眠り。

表向きは軽薄で何でも流し聴きしながら業務をこなしつつも、裏側はもう何もかもが溢れ出していた。
施設から自宅までの間に自分の不甲斐なさに涙が出て夜中まで帰れない日もあった。

自分が思う様に仕事ができないのは悲惨だ。
最初に思い描いていたイメージとあまりにも違う形での仕事に、四月半ばから徐々に追い込まれていき、それでも表向きは猫かぶりだから、大丈夫大丈夫、やっとくよ、任せてよを繰り返し繰り返し、自分を自分で追い詰めていく様は他人にはどう写っていたのかは、当時の同僚の「◯◯さんは、うつとかならないタイプだからいいよね〜」という言葉に凝縮されている。

そんな折もおり、本社から一週間の休暇が出た。要は繰越休を消化せよって話だ。

穴が空いた。

だから、家族で思い切り遊んだ。

日々思いつきで外出し、突然軽井沢に行ってみたりした。

お金を使うだけ使った。
休みを、休むより家族サービスに充てた。
妻の検診もこの時とばかりに行ったりもした。

動いてないと不安で仕方無かった。

そして辞令が出た。

「8月1日をもって本社」

何かが壊れた音がした。

さらに眠れなくなり、さらに業務効率は落ち、記憶は飛ぶわスケジュール組めないわ指導はできないわ、、、。

こうして休んでいる間、俺が急にいなくなった穴を誰かが埋めているのでしょう。

会社の事を考えると動悸がする。

息が苦しい。

何を書きたかったのか忘れた。

あぁ、そうだ。

生きてるのが申し訳なくなってきたからだ。

でも、先月の野音で、THE BACK HORNが歌っていた、「絶望 孤独 月明かり 死にゆく勇気なんてない それなら 生きるしかねえだろ 息を詰めて 駆け抜けろ」(アルバム「イキルサイノウ」より「赤眼の路上」)って。

あの夜、そのまま電車にダイブしても構わないくらいのマイナス気分だった俺を飛び込まず駆け抜けさせてくれた言葉だ。


そんな訳で、まだ生きてます。

子供いるのに働いてない親であること。
その子供と遊ぶ事すらできない親であること。

働きたくても働けない人達が、連日ハローワークに行列を作るなか、制度に守られて、食べていけている自分。

なんら生産性の無い今現在。

病とわかっていても、開き直れない。

生きててごめんなさい。