2009.11.28 言の葉が、心に降り注ぐ

「自分の人生の意味を探しに来た」

ある映画の、冒頭でオーディションを受けに来た若いダンサーがカメラに向かい、俯きがちに語る言葉だ。

他のダンサーが、オーディションに受かる夢を語り、受かった喜びを目を潤ませながら語る姿とは少し違う。

「余韻を大事にしたいんだ」

これは、この映画のあるアーティストの言葉だ。

周囲に気を使う感じで、それでも自分の芯を通す気概を見せる。


よく語られる自分探しというものを俺はしたことがない気がする。

画面の中のアーティストは、そこが自分の唯一の居場所だと知っていた。

画面の中のダンサーは、その場所が自分の人生の第一歩だと知っていた。

何かを探し、何かを求めて生きていく人達の姿は、強く熱く、そして綺麗だった。

観た夜は、その熱のせいか、うなされ、吐いた。

頭の中にはいつまでも音が残り、耳に響き、脳内には言葉が渦を巻いた。

寝つけず、トイレで吐き戻し、眠れば悪夢を観た。

長い長い吊り橋。

何度も娘が向こう岸から渡ってくる。
それを何度も抱きしめ、抱き上げ再び向こう岸へ渡り、妻へ渡す。

やがて風が強くなり、吊り橋は見る見るうちに大揺れになり、必死にロープに掴まらなければならないほどだ。

その中を、娘が拙い歩みで向かってくる。

やがて、その揺れは大きくなり、、、。

娘が堕ちる。

絶望と追えない勇気の無さで目が覚める。

また頭の中に言葉が渦を巻く。

なぜあんな夢を見たのか?

自分の夢を追う、素晴らしい姿に打たれたのか?

妻も娘も大事にできていない自分の現在に、感じている罪を見せつけられた気分だ。

重い。

自分の存在が。

あなたの生きている意味はありますか?

あなたの夢はありますか?

あなたの大事なものはなんですか?

頭痛が止まない。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村